大豆の栽培はかなり古くから行われ、日本で初めて大豆について記されたのが奈良時代の「古事記」と「日本書紀」です。しかし、弥生時代の遺跡から大豆が出土していることから、紀元前より栽培し利用されていたのではないかと考えられています。「古事記」「日本書紀」には、大豆は五穀の一つとしてとても大切に扱われていたと記されていて、稲作と共に本格的な大豆栽培が普及したことがわかります。その後、遣唐使の交流などを通して大豆の加工法が伝わり、主に塩を使って発酵させる技術を知ることになります。これが今の味噌や醤油のルーツのようなものと考えられています。
★大豆の歴史
▶平安時代の日本最古の医学書「医心方」には五穀24種の中でも、大豆は健康に役立つものとして上位に上げられ、生活にかなり密着していた様子もうかがえます。
▶鎌倉時代に入ると僧侶の栄西や道元などが宋に留学し、そこで学んだ禅宗と共に精進料理を日本に伝えます。穀物と野菜にたんぱく源となる大豆の加工品である豆腐、湯葉、納豆などを取り入れ、やがて室町時代の人々にも広まったとされています。
▶江戸時代に入ると「精進料理献立集」が出版され、献立の約9割が豆腐を使用したもので、精進料理には欠かせないものになっていたことがわかります。また、豆腐料理のみ100品の料理本「豆腐百珍」が発刊され、後に続編も出されベストセラーになったそうです。この頃には麹自体も良いものになり、繊細な風味の醤油や味噌が作られ、出汁との組合せで旨味の世界がグンと広がりを見せ、煮物の食文化も完成されてきたことがわかります。
▶明治時代には「富国強兵」「文明開化」のもと西洋化に力を入れ食文化も変容します。その中でも西洋料理の象徴である牛肉に、醤油やみりん、豆腐、こんにゃくなどを使った「すき焼き」は、日本人にも抵抗なく受け入れられ大ヒットしました。
▶昭和時代の戦後はあまり食生活には恵まれませんでしたが、復興していく中でいつの時代の栄養バランスが良かったか、東北大学の研究者による栄養学的比較とマウスの実験が行われました。1975年当時の「大豆を多く食べ、卵などの良質なタンパク質をバランスよく摂り、出汁をうまく使って和と洋を取り入れていた時代の食事がベストだった」という結果が出ています。現代の食事は洋風化に片寄り過ぎているようです。
★大豆の種類
大豆は世界に約1800種ほどあり、そのうち食べられるのは70〜80種だそうです。日本国内では、2021年農水省に登録してある大豆が236品種あり、この他にも国内には在来種が多くあるため、300種とも500種とも言われています。先日、長野県に行ったときに入手した4種の大豆を簡単に紹介します。(写真①)
●黄大豆:利用される大豆の多くは黄大豆で、大粒・中粒・小粒に分けられます。大粒は煮物用に、中粒は豆腐や味噌、豆乳用に、小粒は主に納豆用に。「フクユタカ」や北海道産の基幹品種である「ユキホマレ」、高級大豆と言われる「鶴の子大豆」が代表種。
●鞍掛豆(くらかけ豆):馬の背中に鞍をかけたような黒い模様が特徴的な青大豆の一種で、収量は少ない。主に長野県で作られ、風味が海苔に似ているので「海苔豆」と呼んでいる地域もある。
●青大豆:種子が緑色で、「長野緑」や「宮城緑」などがあり、きな粉や浸し豆に利用される。甘みがあって風味が良く人気がある。
●黒大豆:種子が黒色で「丹波黒」や北海道の「ひかりくろ」が有名。しっかりとした食感と甘みが特徴で、大粒の物はお正月のおせちには欠かせない黒豆として高級品にもなる。
それぞれを一晩水に浸してみると上段のような少し長い形に変化し、重さも約2倍になっていました。形が変わるのはちょっと驚きですよね。次回は大豆の加工品や大豆が持つ力から、大豆の未来を探ってみます。大豆を見る目が違ってくるかもしれませんよ。
文/野菜ソムリエ上級プロ 福田ひろみさん(東京在住)
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